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ここも、ぼちぼち行きましょ

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ミチオ Part1

斉藤道夫は今、羽田の東京国際空港整備場でバイト入社の手続きをしている。

これから8月末日迄の約2ヶ月間羽田空港でアルバイトをするのである。ここでのアルバイトは今回初めてなので不安で一杯だが、飛行機は好きだし、空港内の普通の人が入れない色々な所へ入る事が出来ると聞いているので興味津々でもある。

 人事担当者の説明もいよいよ終盤となり、ツナギ(作業服)3着と安全靴、黄色のヘルメット、洗濯券が配布され。ランプパスが渡された。 
作業服の洗濯は空港内の専門クリーニング業者が担当するのだが、この際この洗濯券が必要となる。1ヶ月当り5枚の支給である。
 
ランプパスとは空港内立入り許可証の事でCAB(Civil Aviation Bureau Ministry of
Transportの略で国土交通省航空局のこと。)が発行する、臨時従業員は黄色、通常従業員はピンク色で許可地域は人それぞれ違うのである。
 
 このランプパスがあれば滑走路や格納庫以外のたいていの所へ入って行けるのだ。
 空港内には官庁の食堂とか格安の食堂もあるのだが、ここも入場可能である。
 
 整備場から空港までマイクロバスで連れて行かれ、更衣室へ案内されロッカーの鍵が渡され、着替えをして来る様に指示があった。安全靴はつま先の部分に鉄が入っていて重たいし、チャップリンの靴の様であまり格好良い物ではない。
 着替えた後、それぞれ配属先へと分かれた。
 
 今回のバイト先は国際空港サービス(IAS)と言う会社で、全日航の仕事の現場部分を請け負っている会社である。
空港のカウンター業務や手荷物の運搬・積載、航空貨物の扱い、機内外清掃、離着陸時の機体誘導、その他諸々を行う会社である。航空会社それぞれがこういった子会社を持っているのある。
 
 配属されたのは手荷物課の仕分係であった。手荷物課の業務には、カウンター・仕分け・
長尺物・ローダーの4種類がある。
 
カウンターでの機内預かり荷物の取扱い
預かり・荷物タグの作成(当時は便名と通し
番号をスタンプで押していた)・荷物タグをつける・ベルトコンベアで流す)と言った作業を担当する。

 仕分けは、預かった後コンベアで流れてきた荷物を飛行機の便毎にトラックやコンテナへ個数を数えながら積み込み、カウンターでのチェックイン終了後カウンターで預かったと言う個数と等しいことを確認するところまでが作業範囲である。

長尺物とは、カウンターで預かった荷物の内、貴重品であるとか、壊れ物もしくは長いのでベルトコンベアで流すことが出来ない物をカウンターから仕分け迄運ぶのが守備範囲であり、この仕事の存在をこの後何回目かのバイトで味わって感嘆したものである、 

お金を貰うのが申し訳ないほど楽で、しかも芸能人の化粧バックとかギターとかそういった物を運ぶだけが仕事なのである。たま~~に競輪選手の自転車や楽団の楽器と言う重くて大変な荷物を扱う事もあるのだが。1日に5~6人の芸能人を見ることは珍しくもなんともなかったものである。

ローダーとは、仕分け後の作業を担うのである、荷物をコンテナやトラックで飛行機まで運び、積載あるいは到着便の飛行機からの荷降ろし、そして到着ロビーのベルトコンベアへ個数を数えながら流すのが仕事である。一日に何度も引越しをする様なもので一番大変なのだが、面白く一番の人気の職種である。

道夫の勤務は「早番」という事で朝七時から午後三時までが勤務時間である。配属先の金子係長から業務説明の説明が終り、さっそく作業開始。

ベルトコンベアからぽつりぽつりと旅行バック等の手荷物が流れてくる。タグのフライト№を見てそれをトラック又はコンテナへ数を数えながら積み込む。

 「んん・・? 15便  え~~っと? あ!札幌行きだ」「違うワ大阪行きじゃん」
「今度は51便か…・ 札幌行きだ…あれ トラックがないじゃん」
「あのぉ~~積み込むトラックが無いんですけどぉ…」
「何を言ってるのかなぁ あそこのコンテナだよ! コンテナ!」
「あっ すんません」

こんな感じだから、荷物はベルトコンベアにどんどん溜まって行くのであった。

あれ こんどはタグが2枚付いてるのが流れてきたぞ??ん・・?Door Side??」なんて言ってる間にだんだんと慣れてきて、ベルトコンベアからトラック迄1~2メートル歩くのを面倒となり、投げる様になっている。
(これってみんなやっている事、でもやっちゃいけない事)

 社員の勤務体系は変則勤務で、早番→日勤→日勤→泊まり→明け→休みとなっている。早番は7時~3時、日勤は9時~5時、泊まりは4時~12時、明けは6時~9時、日勤は中番と言われ10:30~18:30へ適宜組替られ1ヶ月間単位の勤務表が前月に配られるのである。
 飛行機の離発着の多い10時~15時頃に多くの人間がいる様に組まれているのであった、
 だから入れ替わり出勤してくる人退社する人が居て、ここは何人居るのかしらと疑問に思っていたのであった。

 こういった一風変わった職場であるため(?)社員もアルバイトもユニークな人間がたくさんいた。

 自衛隊上がりの松田さんは仕分場でなぜか鳩を飼っているし、芸能プロダクションマネージャ~経験者の小笠原さん、プロレスラー上がりの上田さん、暴走族のアタマの佐藤さん(会社に勤めながらも暴走族継続中)、指を詰めてやくざから逃げてきたと言う赤木さん等々ユニークな人々がたくさんいるのであった。

バイトも18歳位~55歳位までの広い年齢で、パイロットシャツを着てパイロットの持つようなスーツケースを持って通勤する、飛行機おタクの江頭君。バイトを2ヶ月しては海外へ遊びに行ってくると言う岡田さん、先日もナホトカ航路~シベリア鉄道を利用して2ヶ月の旅を終えて帰ってきたところである。 英語とロシア語とスペイン語が話せるらしい。ハワイではホテルに泊まらず野宿で2週間滞在した実績もある。

 この岡田さんは実践で磨かれた語学力を生かして英語の先生になった後、東京オリエンタルランドのオープンの時転職して、イベントを担当しているのである。

 その岡田さんに感化されて昼飯アンパン1個で我慢してバイト代を貯めて東南アジアを中心に旅行を楽しむ湘南のサーファー武繁君、つい先日はタイへ行き、蝶々を採集してあちこち回っている人と知り合いコカインを貰ったと豪語していた。

 さらに岡田さんと二人でシンガポールへ行き、シンガポール人に成りすまし、日本人女性観光客とたくさん遊んだらしい。彼はその後、台湾旅行の最中、台北から台中へ向かう列車の中で隣あわせとなった女性に恋をして、斉藤がたまたま第二外国語で中国語を選択しているのをこれ幸いに、中国語のラブレターを書かせて、遠距離恋愛を楽しんだ後、双方の両親から反対に合い、二人でシンガポールへ駆け落ち結婚をし、レストランの雇われ店長を経験した後、両親の許しを得、日本へ戻りバティック(更紗)の輸入販売をやっていたが、現在は修行の後、石臼挽きの手打蕎麦店を開業し、その店はテレビや週刊誌で紹介される程の店となっている。
 
 ニューヨークへ留学する為にバイトをしている川崎の田中君などは、その後ニューヨークのクイーンズにあるクイーンズカレッジへ留学を果たし、後日、斉藤もそのアパートへ転がり込んだのであった。こういったユニークな人々満載の職場であった。

 楽だと思っていたがバイトだが一日の荷物の運搬量といったら大変なもので、1週間ほど続いた筋肉痛の後、見る見る筋肉質になっていくのには驚いた。
 
 朝5時に起床して原付のバイクで空港まで20分、着替えてコーヒーを飲み仕事開始、3時に仕事を終え職場の風呂に入り4時に帰宅たま~にバイト仲間の武繁らと蒲田の居酒屋「鶴亀」で呑むと言うのがこの頃の生活パターンであった。
 斉藤は神経質で人見知りをする方である。家族の使った食器でも嫌だし、汚いとかバッチィ事にはかなり敏感である。
 
また、自分から話しかけることが出来ないタイプの人間である、所謂神経質で融通の利かないカタブツって奴であるが、老け顔の斉藤は実際の年齢より上へ見られていて、結構話しかけられたのでこの点は楽であった。

この職場95%が男、しかもバリバリの肉体労働でそれだけでも不潔なわけである。
冷水器の水なんぞ、あっと言う間になくなるのだが、なんとその水の給水にその辺にあるバケツを平気で使うのを見てしまった。

しかもカルピスを入れてかき回すのに、耳に差していた鉛筆でかき回し、それを「ほらカルピス飲みな~」と差し出され……飲むってな事を繰り返す内にこの神経質な部分はかなりそぎ落とされた様である。
 
カルピスはローダー担当が荷物の積み下ろしの時スッチーに貰ってくるのである。

YS11の荷物積載場所はアフター、フォワード、ベリーの3箇所あり、アフターは機体最後尾、フォワードは操縦室の裏となっており、スッチーと遭遇するのである。
 親切なスッチーは「ご苦労様」と言ってオシボリを出してくれたり、飲み物をそっと出してくれたり、時には袋ごとカルピス原液をくれたりすることもあった。スッチーのパンチラなんてのにも遭遇したりするのである。

 ベリーは機体の下部中央の高さ50センチ×2メートル程度の空間であり荷物の積み込みはかなり神経と積み木を積む様なセンスを使うのである。積み込み前にアフターに何個、ベリーに何個とか機体のバランスを考慮(?)して指示があるのである。積み切れなかったでは済まないのである。

 ボーイング737Bー3(ビースリー)と呼ばれ、YSー11で言うところのベリーに積み込むのだが、この扉がジュラルミンとは言え、高さ2メートル幅2メートルあり、これを手で押し上げる形で開けるのだが、最初の頃は力もないし、コツもわからず開けられないのである。強風の時などたまったものではない

 トライスターL10―11(例のロッキード問題で有名になった飛行機)やボーイング747(ジャンボ)などは例外を除きコンテナなので積み込みは楽である、ドアの開け閉めもボタンを押すだけである、

 一方荷降しは数が多いので気が遠くなる。

 ある日、バイトを終えて家へ帰ると、友達の渡部から電話があり

 「9月なんだけどさ ハワイ行きのツアーが安いんだけど行かない?」
 「え? ハワイ」
 「うん ハワイ」
 「いくらよ?」
 「12万4千800円」
 「え・・?!安いじゃん」
 
 なにやら、近所に住む知り合いのオールナイトラジオのプロデューサーが番組で募集している格安ツアーに2名なら潜り込ませてあげると言うことでの特別価格であった。

 たまたま、バイト先で海外へ行っている人間が多く、ちょうど海外に興味が出てきた絶妙のタイミングでもあり、バイトの金の使い道も決めていなかったので快諾したのであった。


 道夫 19歳になったばかり、大学1年生の夏であった。


今年出来た成田空港のロビーに斉藤と渡部の二人は居る。オールナイトラジオ主催のツアー、パンナム航空でワイキキへと行くためである。

二人とも初めての海外旅行である。パスポートと言う物も取ったし、ビザも取った。ドルへの両替も必要と聞き、銀行で両替した1ドル224円である。

「360円じゃないんだ? ドルって」
「海パンとか必要な物は現地で買えば良いよな!?」
「そ~だな うん」

 機内食の時間となった。スチュワーデスが「チキン オア ビーフ?」 (鳥肉にしますか それか 牛肉?)と聞いて回っている。飲み物も聞いてくるビールと言うと1ドルだと言う。へ~安いじゃんと2本飲んだら 真っ赤かになった二人であった。

 ホノルル空港へは日本を出た日付とおなじ日の早朝に到着した。これも不思議でしょうがなかった。日付が戻るって80日間世界一周のあの原理なのかなと、ぼーっとした頭で思っているうちに市内観光だと言う。
 
 ぼ~っとした頭でバスに乗せられて、パンチボールの丘とかヌアヌパリで記念写真を撮り、真珠湾、「この木なんの木」とかへ連れ回された後、郊外の何屋と言うのかアロハシャツや民芸品、海水浴用品がおいてある店へ連れて行かれたのだが、この店員がここがハワイで1番安い店ヨとか怪しい日本語で言うのを真に受けて、海パンとビーチサンダルをここで購入した二人であった。

 ホテルはアラモアナホテルだと言う、着いてみるとワイキキの端っこなので「なんだよ、やっぱり安いだけあるわ」と思った。

 ウエルカムランチとか言う軽食を食べたので、早速着替えてワイキキ海岸へ行ってみた

「ほぉ~~テレビで見る景色と同じだ」
「あれ?? この景色 遠くに見えているのが ワイキキじゃんか!?」
「あれがダイヤモンドヘッドって奴だしな~」
「ここは ワイキキを見ているって事は ワイキキじゃないじゃん」
 
 そうです、ここはアラモアナなのです。そんな事も知らない二人でした。


 「あっ! あれ コンペイじゃない ほら あそこ!」
 「あ・・ほんとだ 林家こん平だ!」
 「このホテル芸能人も泊まるのなら、それほどひどいホテルじゃないんじゃない」
 「そうかもね」
 「ワイキキ行ってみようか?」
 「うん、行ってみよう」
  
 「この通りをずっと歩けば着くだろう」
 「そぉ~だね」

 全然、近くなかった、しかもバスで行くと言う事すら考えの中にない二人であった。

 「ん? 横浜オカダ屋 ?横浜にオカダ屋なんてあったっけ? 嘘くさい店だな」
 「だよな、覗いて見よう」
 「おっ!レイバンのサングラス 良い感じ!」
 「いらっさいませ  そのグラス安いヨ」
 「いくら?」
 「40ドルでいいよ」
  
 結局このサングラス買ってしまったのであった。

 この横浜のお店、実在していたと知ったのは、ず~っと後の事であった。

 ワイキキ迄の道のりは買ったばかりのビーチサンダルで歩くには、かなりの距離であったが、もの珍しいので余り気にならなかった。しかしホテルの数には驚きを隠せなかった。
 
 「ん・・あのガタイのすごいの あれじゃん、ほらプロレスラーの藤浪!?」
 「うんうん、そうだよ、へ~~、さすがハワイだな!」
 
 「しかしサーフボードってこんなに長いと思わなかったな」
 「うん? あれ レンタルだよな」

 と、近づくと そこにいたオッサンが

 「ワタシ ワタベ言います、サーフボード借りますか?」
 「へ~同姓ジャン」と渡部
 「アナタモ ワタベサン デスカ? 1ジカン10ドルでイイヨ」
 「じゃ借ります」

 二人でサーフボードを借りて、サーフィンに初挑戦する二人であった。
 遠浅かと思ったら、結構急に深くなるし、波が立っているのもかなり沖である。そこまでたどり着くと、ボードにまたがり波を待っているサーファーがぽつりぽつりと居る。

 要領を見ていると、波が来たときに手で水を掻き波に乗って立ち上る様だが、うまく行かずに途中で倒れる人もかなり居る。

 しばし、見学後、挑戦する事にした、波が来たので手で思いっきりかく、勢いが着く、波に乗っている状態だ、ふむふむっ、よし今度は立って見ようと思い、再び沖へと戻り再挑戦すると、簡単に立てたのである。何でだろうと周りの人のサーフボードを見るとコンパクトで薄いのである。 

二人の借りたレンタルボードは初心者でも、しかも波に乗らなくても安定しているので止まっていても立って乗れる程の物であったのだ。

 夜になった。ミールクーポンという券で一日2食分は指定した店で食べられるのだ。

ワイキキ方面へ少し歩いた所に「紅花」と言う鉄板焼の店があったので、そこで食事をする事にした。席へ案内されるとカナダ人のグループと二人は同じテーブルであった。ロブスターとステーキのコンビネーションセットと言うのを選んだ。

 割り箸の袋に箸の持ち方が印刷されていて、それを一生懸命真似てみたが、上手く使えずカナダ人に笑われた斉藤であった。

 調理人がやってきた、日本人である。英語と日本語で挨拶をし、肉の焼き方を問うやいなや、いきなり魔術師の様に包丁とフォーク?を操って調理を始めた。焼きあがった肉や野菜は宙を舞い皿へと乗る。これにはびっくりした。味も美味しかった。
 
 食べていると、カメラマンの様な人が来て、写真を撮ると言う、
「ハイっポーズ!」
「綺麗に撮れました!」

 食後のデザートの時にその写真を売りに来るとは知らなかったし、買ってしまった二人であった。

「紅花」を出ると真っ黒なリンカーンコンチネンタルが近づいて来た



「ドコイキマスカ?」


「ホテル カエル マスカ?」
「………」
 
 リンカーンはタクシーだったのだ。

「ワタシ、チャーリーデス ホテルドコ?」
「ん…・アラモアナホテルだけど・・」

 興味本位もありタクシーに乗る二人であった。乗るとホテルとは反対へどんどん向かうので、やはりぼったくるつもりかいなと思い、むかついていると………

「キレイナ オジョッサンイル トコ イキマスカ?」

「ん?」と渡部、怒り爆発寸前で無視する斉藤、渡部は完全に乗り気である。

「おい、どうする行く?」と渡部が言う
「いや、行かないよ」と斉藤
「俺、一人で行くよ」
「いいよ、どうぞどうぞ、いってらっしゃい」

 ホテルのロビーの前で斉藤は一人下車をし、渡部を乗せたタクシーは去っていった。

 タクシーはわざと遠回りをしている訳ではなく、カラカウア通りがダイヤモンドヘッド方向への一方通行であるため、クヒオ通りへと迂回してホテルへ戻ってきたのであった。

 一人ホテルの部屋へ戻り、シャワーを浴びてビールを飲み始めると、ドアチャイムの音、
ドアを開けると苦笑いの渡部の姿が...

「んっ!? やはり、だまされたのか?」
「あっ、いや…」

「え・?もう終わったの?」、
「えっ? うん(笑)、あっという間だった、待ち時間の方が長い位だった」

「………・・・」

「あのタクシーの運ちゃんさ、おもしろいし、良い人みたいだよ」
「へぇ~」
「明日、1日貸切で観光コースを回って食事代以外すべて込みで70ドルだって言うから頼んできた」
「え゛!? 、大丈夫かよ」
「平気、平気」

 やや不安な気持ちでハワイ1日目が終わり、深い眠りについた

 翌朝9時にチャーリーは約束通り、リンカーンコンチネンタルでホテルのロビー前に現れた
「リョーキン70ドル クダサイ」、渡すと
「アリガト」と言い車はダイヤモンドヘッド方面へと向かい、さらにアラワイ運河沿いに向かってH1フリーウェイへと進んだ。

 アイナハイナを左に見て、ココマリーナ~ハワイカイを過ぎて坂道を登って行くと右下へ紺碧の湾が見えてきた。
 「ココ ハナウマベイ キレイ サカナ タクサン イマス」
 「へぇ~」

駐車場で車を止めると

「2ジカン シタラ ムカエニ クルネ ココ」
 「えっ・?!」

 チャーリーは二人を残しさっさと行ってしまった。
 渡部は平然としているが、心配性の斉藤は不安で一杯である。
「さ、海へ入ってみようぜ」
「あ・・うん」

 遠浅の岩場で膝位の深さまで進むと色とりどりの熱帯魚が沢山泳いでいる。水族館の水槽を上から見ている様である。胸くらいの深さまで進むと、お腹をツンツンとつっついてくる魚もいた。魚を見たり甲羅干しをしている間に2時間はすぐ過ぎた。
 チリドッグーを頬張りながら駐車場へ戻るとチャーリーは待っていた。

「キレィダッタデショ」
「うんうん」
 車は海を右手に見て北上している。赤信号で止まったときであった、チャーリーがグローブボックスを開けてなにやら取り出した。


「コレツカッテミル?」

「んん?!」

 



拳銃だったのだ、斉藤は心臓が止まりそうになった。
 チャーリーはしばらく拳銃をワッグルする様な手付きで握った後、斉藤にその拳銃を渡しながら

「タマ ハイッテイルカラ キヲツケテネ」
「マドカラミエナイヨウニ キヲツケテ!」と言うではないか

 グリップにはS&W M38CHIEFS SPECIALと書いてある

 しばし拳銃に見とれていると、チャーリーが「ツカッテミルカ?」と言うので
 「う・うん」と答えると北へ向かっていた車は左折してパイナップル畑の方へと向かっていった。

 見渡す限りのパイナップル畑である。右も左も前も後ろも道路以外全てパイナップル7~8分走ると、ゴルフの打ちっ放し練習場の様なものが見えてきた。

 だんだん近づくと「パァ~ン・ぱぁ~ん」と言う音が聞こえる。

 そう射撃練習場だったのである。

 横に20人ほど並んで砂山の前にある的へ向かって、拳銃やライフルを撃っているのだ。

 チャーリーが簡単に操作方法を説明してくれ、撃ってみた

「ズキュ~~~ン」

 弾は的のはるか右下1メートル当たりに砂煙を上げて吸い込まれた。
2 0発程で渡部と交代しながら撃ちまくった。面白い!
・・が ほとんど命中はしない

 引き金を引くだけで連続して撃つことは可能だが、かなりの力を使うので、いちいち劇鉄を起こして撃っていた。

 しばらくすると、なにやらアナウンスがあった。何十分間隔かで射撃を止めて、的の整備等々を行うようであった。
 
 係員が的の整備と射撃レンジのチェックとをひとつずつ、の~んびりやっているのだが、我々のレンジへやってくると険しい目つきでなにやら喚いている。
 
 全然聞き取れない斉藤であったが、係員が拳銃を指差したのを見ると、ドジな渡部が撃ち方止め!の時に劇鉄を戻すのを忘れていたのだ。
 
 本当は劇鉄を戻し安全装置も掛けなければいけなかった様で、チャーリーの弁解なぞ聞き入れない係員に退場させられてしまったのであった。


「あのラッタッタ(ロードパル)みないなミニバイクってレンタルあるのかねぇ?」
「ん? あ~ どうかねぇ!?」

 ソフィアローレンのCMで見た原付スクーターに似ているミニバイクがクヒオ通りを走っていたのだ。

 しばらく歩くとレンタルバイクのお店があり、借りることが出来た。

 二人はミニバイクでハワイ大学へ行って見ることにした。

 クヒオ通り~アラワイ運河~マッカリー通り~アランウォンのお店や“Jinbo",コリアン焼肉のお店、イマナス亭は見るだけにしておいて、ユニバーシティ通り~ハワイ大学へと到着。

 ちょうど新学期が始まったばかりの大学、広いキャンパスにゆったりとした雰囲気の学生達があちこちにいる、こんな良い環境で学生生活を送れるなんてなんと贅沢な事だろうかと、やけに大人っぽい学生達を見ながらくやしい思いをした。

 生協の様なところがあった。書籍や文具、衣料など色々あるし、値段も安い、大学のロゴ入りTシャツとマグカップで10ドルであった。
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by mooksM | 2003-07-01 00:00 | 書き物
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