人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ここも、ぼちぼち行きましょ

mooks.exblog.jp

ミチオ Part6

日本を出るときに持ってきた文庫本「青春の門」、もう何度も読んでいるのだが飽きずに読んでいると隣に座った黒人のおばさんが
「あなたは中国人?」
「いいえ」
「あら失礼・・私の娘が学校で中国語を学んでいて、あなたの読んでいる様なのを使っていたので、聞いて見ました」と言う、日本人だと言うと驚いた顔をしていた。

 バスはニューヨークからニュージャージー、フィラデルフィアを通ってピッツバーグである。何年か前、アル・パチーノの「スケア・クロウ」でアル・パチーノが向かうと言っていたのがここであった。

 クリーブランドを通り、シカゴへと着いた。まだロスアンゼルスまでの三分の一であるが、三日経っている。ホテル代を節約する為に、夜は宿泊の代わりにグレイハウンドに乗り移動する事を続けているのである。この後の費用が見えないので食事も一日一食になっていた。
 シカゴはジーン・ハックマンが「フレンチ・コネクション」でポパイ刑事役、鉄道の下を走っているシーンがあったが、ちょうどこんな所だ。東京に似た感じの都会だなと思った。

 バスはオマハへと向かっている、北米のど真ん中、道路意外何もない、何年か前に見たスピルバーグの映画「激突」が巨大ダンプに追いかけられたのもこんな所かもしれない。

 シャイアンへ到着した、地名からも西部へ入ったのであろう、ここでの休憩は1時間15分である。

 ドライバーは何人も替わったし車体も何度か変わった、運転手はプロレスラーの様な人もいれば女性もいたのには驚いた。

 ユタ州はソルトレイクへと着いた。もう、ニューヨークを出て10日目である。読み飽きた文庫と「地球の歩き方」を何度も読んでいる内に、やはりサンフランシスコやグランドキャニオン、ラスベガスへ行きたくなる斉藤であった。持ってきた英和辞典を持ち、どこでどうやって頼めばいいのか・・・45分程悩んだ。

 経路変更(変更及び切符の再発行)をRE-ISSUEと言うことも知らない斉藤は汗びっしょりで、希望通りの経路へと変更する事ができたのであった。

 真夜中にラスベガスに着いた、映画やテレビで見た、スロットマシンが並んでいる、景品のベンツや宝石が陳列してあるのには驚いた。ネオンと言うのか凄い数の電飾だ

 グランドキャニオンを駆け足で見学して、やっとサンフランシスコへ着いた。

 ここでは、ホテルを探して泊まるつもりである、風呂も入りたいし。

 空腹と疲労でふらふらになりながら、ホテルを探す、ケーブルカーの停留所の斜め前のストラッドホテルを狙っていたのだが運良く空いていた1泊22ドルであったが例の国際学生証で15ドルとなった。

 ホテルへチェックインすると真っ先にシャワーを浴びたのだが・・・・水しか出ないし、窓も5センチほど開いたまま閉まらないというシマラナイホテルであった、夏でもサンフランシスコは涼しいと言うか肌寒いのだ。

 半袖と甚兵衛しか持っていないので何か調達する必要がある、ここで思い出したのが映画「卒業」で知ったバークレー、そうカリフォルニア大学バークレー校である。

 サンフランシスコはカリフォルニアとは言うものの最高気温が20度を越すことは滅多に無い、もっとも最低気温も8度以下はない、こじんまりとした所である。有名なケーブルカーでの移動か歩いても何時間も歩く程ではない。

 早速ケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズ・ワーフへと行って見ると、普通の港町でお土産屋が並んでいる、ロブスターとか海産物が浜焼きの如く露天で売っているのだが金がない斉藤はクラム・チャウダーと言うスープだかシチューだかわからないが、アサリとジャガイモと様々な物が入っているとても暖かく美味しい物を紙コップで売っている屋台で1杯食べただけであった。
 ケーブルカーも座っている人はいいが、しがみついている方は結構迫力だし、握力も必要である。

 サンフランシスコにはアメリカ最大とも言われる中華街と隣接するジャパンタウンと言われる日本センターがある。
 紀伊国屋書店があったので覗いて見るとたいていの日本の書籍・雑誌はあるのだが3倍~4倍の値段で売っているのには驚いた。

 紀伊国屋を出ると五重塔の方から女の子が歩いてきた、日本人だと思っていると英語で話し掛けていくる。

 アイリーン・アレキサンドラ・イーと言うここで生まれた中国人だと言う、石野真子のフアンであり、「明星」や「平凡」をたまに買っているのだが高くてたまらないから、日本に帰ったら送ってくれないかと言うのが用件であった。

 若いのに・・いや、子供なのに凄いなと思い、約束をすると共にバークレーへ行きたいのだがと訴える斉藤であった。

 この数行に1時間掛かり、しかも英和辞典がフル稼働していたことは言うまでもない。

 バークレーの5文字ですら、わかって貰えるのに四苦八苦したのだ。

 翌朝、アイリーンはホテルの前まで迎えに来てくれて、バークレーまで一緒に行ってくれた。
 まずバートと言うサンフランシスコの地下鉄(Bay Area Rapid Transit)へ乗るのだが、既にプリペイド式かつSFに出てくるような近代的な乗り物であった

 バークレィは全米学生運動の発祥の地で、カリフォルニア大学では最大の希望で3万人の学生を有する。UCLAと言うのはカリフォルニア大学ロスアンゼルス校である。

 バークレー大学へ着くと、真っ先に購買部へ行き防寒の為のトレーナーを買った斉藤であった。
by mooksM | 2003-07-06 21:34 | 書き物
<< ミチオ Part7 ミチオ Part5 >>